「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 邪馬臺(やまと)國 = ( やまと)国 年表(豊国史)

[前14年 饒速日(天照大神)、豐葦原瑞穂國の笠置山に降臨]

※  天満倭国 =倭奴国成立

天満倭国=倭奴国成立
前一四 饒速日、葦原瑞穗國の笠置山
 に降臨。
 (瓊々杵、日向のクシフル岳に降臨。)
 天満倭国=倭奴国が成立する。
  饒速日は古遠賀湾沿岸部を領有、中洲(なかつくに)
  の皇都を建設。
  天物部八十氏が筑豊の山や島を領有し、
 「山島に居し、分かれて百余国を為す」。
  瓊々杵は博多湾岸を領有し、百余国の
 一角を形成する。

「発掘『倭人伝』」下條信行氏原図

 

■ 天神降臨
  饒速日、豐葦原瑞穗國の 笠置山 に降臨。古遠賀湾沿岸部を領有、中洲皇都を建設。

■ 天孫降臨
  瓊々杵、日向のクシフル岳に降臨。博多湾岸を領有し、百余国の一角を形成する。

天火明命(あめのほあかりのみこと)迩迩藝命(ににぎのみこと)は、 兄弟 であるが、兄饒速日の天神降臨は『記紀』では
  忘れ去られている。

※ 「邪馬台国」倭国=豊国説(平成27年3月14日、於 久留米大学)の講演より

 宮若市の 天照宮 の祭神である饒速日尊が、『旧事本紀』とかその天照宮の社伝によれば、 紀元前14年に豐葦原瑞穗國
笠置山に 降臨したという記録がある。
 この笠置山は、輝緑凝灰岩が採れる山であり、その輝緑凝灰岩は立岩式石包丁の材料となる石です。その笠置山に饒速日尊
(男神の天照大神)は上陸した。饒速日尊は、後に後漢の光武帝から金印を受けた「漢倭奴(いぬ)」を建てた王である。
 天照大神(饒速日尊)は、朝鮮半島から渡ってきて、遠賀湾沿いに住んでいた稲作の人々を従えて王となった人物であり、
侵略者である。
 飯塚市 立岩遺跡 の立岩式石包丁の流通範囲は、饒速日尊が笠置山に降臨した後に国を広げていった跡だろうと考えている。
 有名な天孫降臨の瓊瓊杵尊は、筑紫の 今山辺り (糸島半島近く)に降臨したのであろう。
 今山石斧は、南は熊本県の白川辺りまで広がって分布している。この立岩式石包丁の分布する範囲と今山石斧の分布する
範囲を合わせた範囲の地域が、漢倭奴國であり、『萬葉集』から抜き出した 天満倭国、虚見倭(そらみつやまと)国 の領土で
あろうと思われる。そこの元々の名が、『古事記』、『日本書紀』に云われる豐葦原水穂国であろう。