「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 倭国(豊国)北伐考

・倭国北伐考(スメラミコトの豊国征服譚)(平成28年3月21日、久留米大学)講演
・倭国(豊国)北伐考(平成28年7月31日、於 ももち文化センター)講演

[壬申の乱の舞台(淡海のある倭国=豊国)]

  ・菟道宮
   (香春町古宮ヶ鼻の 阿曽隈社 

・・・ 天智二年(663年)白村江に敗戦の後、天智四年(665年)唐国の劉徳高等を
    菟道に閲す。唐子橋は、菟道宮へ入る時に唐の兵士達が渡った橋か?

  ・近江宮(長津宮か)
   (中間駅の西隣にあった 御舘山 

  ・近江大津宮
   (糸田町宮山の 大宮神社 

・・・ 天智天皇六年(667年)  春三月辛酉朔己卯(19日)、都を近江に遷す。
    (豊前国舊紀の天智天皇六年(660年)に訂正)

  ・「草薙の劔」を保存していた場所
   (鞍手町の伝承地、 八剱神社  古物神社 

・・・ 天智天皇七年(668年)春正月丙戌朔戊子(3日)に、皇太子即天皇位す。
    或本に云はく、六年の歳次丁卯の三月に位に即きたまふ。  
    是歳、沙門道行、草薙剣を盗みて、新羅に逃げ向く。而して中路に雨風にあひて、
    荒迷ひて帰る。

  ・吉野宮
   (大分県下毛郡山国町吉野の 若宮神社 

・・・ 天智天皇十年(671年)冬十月の甲子の朔壬午(19日)に、東宮(大海人皇子)
    即ち吉野に入りたまふ。

  ・天智天皇の入水場所
   (宗像市鐘崎の 織幡神社 

・・・ 天武天皇元年(672年)6月 ~ 8月 壬申の乱
    秋七月庚寅朔壬子(二十三日)に、大友皇子、逃げて入らむ所無し。乃ち還りて
    山前に隠れて、自ら縊れぬ。
    天智天皇の病死の後に壬申の乱が起きたとあるが、『扶桑略記』、『萬葉集』から、
    大海人皇子に敗れて入水自殺した。

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唐子橋