「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


「天満倭」考―「やまと」の源流

 その霊を祭りて稲作神となし、新に田を開きて落穂を植え、神饌を得てこれを祭る。これ本州(対馬)稲作の
始めにして、伊奈の地名は稲に由来す。(後略)」。…「イナは稲にちがいないとして、クヒの解釈には通説が
ない。」(『日本の神々』神社と聖地 1九州 谷川健一編 白水社 ※対馬・壱岐は永留久恵執筆)

 クヒは、「くぐい【鵠】クグヒ(ククヒとも) ハクチョウの古称。」であり、伊奈久比神社では明らかに
「白鶴」を云い、大歳神の化身である。
 先の歌は、倭建命が美夜受比売に呼び掛けた歌であり、「ひさかたの 天の香山(かぐやま) 利鎌(とかま)に 
さ渡る鵠(くひ)」の利鎌に以下は、鋭い鎌のような細く美しいクヒの首のような(美夜受比売の)腕の形容だった
のである。
 クヒ(白鶴)が「ひさかたの天の香山」への空を渡っている。その実景描写から女性の美しい腕の修飾に使われ
ていた。
 倭建命は、天の香具山とそこに渡るクヒと美夜受比売の腕とを見ているのである。この歌の故事から、「天の
香具山」に「鶴見岳」という優美な別称が付けられたのであろう。
 また、倭建命が死して白鳥と化したことや、豊後に伝わる朝日長者の餅的伝説など、いわゆる『白鳥伝説』
(谷川健一 集英社)の内容とも見事に一致する。
 なお、鶴見岳 には「火男(ほのを)」=火之迦具土神が祀ってあり、天乃香具山が活火山であったことがわかる。
危険地帯に貴人は立ち入らない。
 そこから、筆者は二番歌の詠歌場所を国東半島東端の奈多八幡宮の神体山、見立山に比定し直したのである。
そここそ、豊秋津嶋らしい。現在の大分県国東郡安岐町である。

 以上から、倭建命の「倭(やまと)」も豊国を指しているようである。
古事記に最初に「倭」が出現するのも、国生み神話の「大倭豊秋津嶋」の
箇所だ。ヤマトの源流は奈良県 にはない。
 この段階で早くも、大芝英雄のとなえた「古事記は豊前王朝史である」
とのテーマと、筆者の唱える「万葉集・記紀歌謡の『倭(やまと)』は
豊国を指す」との主題は、一致する。
 これは、両者がヤマトの源流と、これに関わる歴史事実を相当のところ
言い当てているからであろう。
 右図は、対馬の島大国魂御子神社(祭神は大己貴命)の神紋である。
そっくりの神紋が、福岡県鞍手郡宮田町の天照宮(祭神は饒速日命)、
同小竹町の亀山神社(大歳社、祭神は大歳神)に伝わる。

鵠(白鶴)の神紋

しきしまのやまと

 次に、「しきしまの やまと」がある。礒城嶋能 日本國乃(一七八七)、式嶋之 山跡之土丹
(三二四八)、式嶋乃 山跡乃土丹(三二四九)、志貴嶋 倭國者(三二五四)、礒城嶋之 日本國尓
(三三二六)、之奇志麻乃 夜末等能久尓尓(四四六六)の六例だ。
 これらは、巻九以降に出る歌であり、筆者の「巻一巻二は九州王朝の天子万葉集ではないか」とする立場から言えば、
「倭の源流」を追究する
 手掛かりになりにくい。「日本」を「やまと」と訓じてある例に至っては、万葉集の中でもごく新しい例、少なくとも
和銅日本紀の成立と同じ頃かまたはそれ以降の歌と見るよりほかはない。
 いずれも、八世紀以降の日本国全土を表す、拡大した「やまと」の用例である。ただ、三二五四番の歌は直前の長歌と
合せて読むと、ほんのわずかだが「倭の源流」を偲ばせるものがありそうだ。