「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


「天満倭」考―「やまと」の源流

  柿本朝臣人麻呂が歌集の歌に曰く

 葦原の 水穂の國は 神ながら 言挙せぬ國 しかれども 言挙ぞ吾がする 言幸く
真幸くませと 恙無く 幸くいまさば 荒磯浪 ありても見むと 百重浪 千重浪しきに
言挙す吾は
(三二五三)

  反歌

 しき島の 倭の國は 言霊の 助くる國ぞ ま幸くありこそ(三二五四)

 人麻呂歌集にあること、また、長歌の出だし「葦原の水穂の國」は古事記に謂う「豊葦原の水穂の國」を
連想させることから、あるいは「豊国の倭」を指している可能性を捨てきれない。
 しかし、現段階では「しきしまのやまと」からは「倭の源流」を尋ねがたい。

そらみつやまと

 「そらみつ」という枕詞は、端から特異である。四音であり、五七調確立前の古形を留めているようだ。
 虚見津 山跡乃國者(一)、虚見 倭乎置(二九)、虚見通 倭國者(八九四)、空見津 倭國
(三二三六)、虚見都 山跡乃國(四二四五)、虚見都 山跡乃國波(四二六四)と万葉集にある。
 ヤマトの表記が、「倭」もしくは「山跡」の二通りで、これも古形を保っている感がする。「あきつしまやまと」
とも近いが、「そらみつやまと」の方が「倭の源流」を探るのに最適のようである。

 なお、付言しておかなくてはならない。万葉集・記紀歌謡に見る限り、「倭」には「やまと」の訓しかない。
平安時代の古今和歌集の真名序・仮名序の冒頭部も、「和歌」と「やまとうた」が対応する。
 本稿は、「倭」を「やまと」と訓む伝統に則りながら、敢えて「倭の源流」を探るものである。

 「そらみつやまと」には、その語源を説明したかのような記事がある。『旧事本紀』の天神本紀に残された天磐船
の件である。

 饒速日尊、天神の御祖の詔を享け、天磐船に乗りて、河内国の河上の哮峰に天降り坐し、
即ち大倭国の鳥見の白庭山に遷り坐す。
 いわゆる天磐船に乗りて、大虚空(おほぞら)を翔行(かけめぐ)り、この郷(くに)を巡り睨(み)て、
天降り坐す。いわゆる虚空(そら)見つ日本国(やまとのくに)というは是か。

 饒速日尊(にぎはやひのみこと)の天降り坐した所を、「虚空(そら)見つ日本国(やまとのくに)」と呼んだ事実が述べられ
ていよう。
 ただ、語源と天降りした地については疑問が残る。また、「日本」の表記についても「しきしまのやまと」で述べた
とおり新しい。
 しかし、万葉集の表記とは異なるが「そらみつやまとのくに」の音が一致する以上、「虚見つ倭(山跡)の国」の
「源流」は「饒速日尊の天降り」すなわち「天神降臨」にあると言わざるを得ない。

 上と同様の記事が、『旧事本紀』の天孫本紀にもある。記紀に名高い「天孫降臨」の天孫すなわち瓊瓊杵尊(ににぎの
みこと)
の本紀にあるのだ。
 天神饒速日尊(記では天火明命、紀では神代第九段一書第八に天照国照彦火明命)と天孫瓊瓊杵尊(記は迩迩藝命)は
兄弟である。
 記紀には弟の天孫降臨のみが記されているが、饒速日尊を追究した結果、確かに「天神降臨」と呼ぶべき歴史事実が
あったようだ。
 その降臨地こそが「そらみつやまと」の「源流」に他ならない。次に、天神降臨の歴史事実を述べる。