「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


『邪馬壹國こそなかった -九州王朝論再構築にむけて-』

 私の比較的早い調査に、万葉仮名「苔」の調査結果がある。
 (余談だが、最近も古田ファンから「福永の研究は基本がなっていない」との中傷を受けた。「臺」は万葉集の中で、
トの仮名として使われていないというのが理由の一つである。
 だが、万葉仮名とは万葉集だけに用いられているものではなく、記紀歌謡や記紀の割注などにも用いられている仮名の
総称である。
 古田武彦氏や彼のファンの方が余程基本に疎いのである。)

 岩波書店の「日本書紀」の歌謡の中に、「と乙類」の仮名としての「苔」
が二十首三十四例ある。歌謡番号九、一一、一三、一八、二二、二三、二六、二七、二八、三〇、三一、三二、四二、
四三、四四、 四六、四八、五一、五二、五四、の二十首に用いられている。
 ところが、詳細に調べるとほとんどは「苫」を「苔」に書き換えたものだった。底本(卜部兼右本二十八巻)でも
「苔」がそのまま用いられているのは、景行天皇紀の二二番歌謡だけである。

 夜摩苔波、區珥能摩保邏摩、多々儺豆久、阿烏伽枳、夜摩許莽例屢、夜摩苔之于屢破試。  

 倭は 國のまほらま 疊づく 靑垣 山籠れる 倭し麗し

 「苔」は(漢)タイ、平声(上)十「灰(-ai)」の韻である。「臺」および略字「台」と同じ韻である。
これが、かの有名な歌謡において、「と乙類」の仮名として用いられていることから、「臺」にも-oと-aiの
母音交替を予測したのである。
 三世紀の「邪馬臺」に「呉音の古層」として「ヤマト」のよみがある可能性を予測したのである。

 次に、『続日本後紀』卷十九嘉祥二年(八四九)三月庚辰(廿六)、興福寺大法師等が仁明天皇が四十歳に
なったのを祝賀して、観音菩薩像四十体を作り、『金剛寿命陀羅尼経』四十巻を写し、四万八千巻を転読した。
 さらに様々な吉祥の像を贈り、長歌を副えて献上した。

 其長歌詞曰、日本、野馬臺、(後略)  

 右の「日本の野馬臺の國を」を、二〇一〇年当時群馬大学名誉教授の森田悌氏は、講談社学術文庫「続日本
後紀」において「ひのもとの やまとのくにを」と訓読されている。
 「臺」が「と」とよまれている。八四九年の仏教界においてもなお、「臺」は万葉仮名「と」として用い
られていたようだ。
 すなわち、「新字源」の解説のとおり、「臺」字において、漢音タイは「呉音の古層」トに完全に取って
代わることができなかったらしい。
 ここでも、三世紀「邪馬臺」は「ヤマト」と発音された可能性が高かったことになる。

 さらにまだ調査中ではあるが、「薹が立つ」という慣用句がある。人が、その目的に最適の年齢を過ぎてしまう(日本
国語大辞典)ことをいう。出典は江戸期の歌舞伎にあるとし、「薹」のカナがタウとされている。
 また、野菜などの花茎が伸び過ぎ、かたくなって食べ頃が過ぎてしまうともある。こちらは出典が日葡辞書(一六〇三~
〇四)とあり、原綴は「Tŏga tatcu 」となっている。むしろ「トーガ タツ」である。
勿論、「薹」の漢音はタイだ。今のところ、平安・奈良時代に遡れないので、このまま保留せざるを得ない。